どうも僕の身の回りでは、「自宅が古い」人間が多い傾向にあるようで、よくサークルの飲み会で「家が古いアルアル」と称し、「実家が古い家屋だった人間の愚痴」を言い合う会が催されています。
ここでその一例を具体的に挙げてみると、「生家が昭和20年代に建てられた木造作りの家屋で、断熱材も何も入っておらず、『夏暑く、冬寒い』室温だった」とか、「同じく木造建築で、部屋の太い梁がいつの間にかシロアリの巣になっていて、家を支える構造にとんでもないダメージを受けた」などの、正直シャレにならないレベルの話がいくつもありました。
ちなみに僕自身の実家も、先の具体例に負けず劣らず非常に古い建物で、何でも地区100年は経過しているのだとか。まだ幸いにも、父の代で一度改修が入ったようで、シロアリや過酷な室温にはならずに済んでいますが、それでも困ったことが多々あります。
そもそも「家が古い」ということは、「設計そのものが古い」ということになり、現代に入って浸透した「バリアフリー」などという人に優しい構造にはなっていないのです。室内にはかなりの段差があり、それが大型の家具を運ぶ際などには大きな障害になってきます。
先日も里帰りした折、奥座敷の金庫の移動を頼まれ、自力で金庫を運ぼうとしましたが、この段差に引っかかって危うく下敷きになるところでした。やはり、重さ100キログラム程度の比較的軽量な金庫だからと言って、男一人で移動させるのは無理があったと今は思っています。